(「白井沙樹の本気」その1は、
こちら)
先週末は、さくら学院の「白井沙樹プロデュース」の2公演を体験させていただいた。
企画発表当初から、彼女が「魅せたい」と公言し続けてきた演目であった。
パフォーマンス自体は、申し分なかった。と、いうか。
この時期に発揮しうる実力としては、想定以上の実力が発揮されていたと思うし、
半数が転入生という(表現的に不本意ながら)逆境の中、2015年度のさくら学院は、
誰もが認めざるを得ない表現力を身につけ、父兄を「納得」させていると感じるほど。
本当に素晴らしい。
この日も、一曲一曲、そして、その間のMCも、全てが愛おしかった。
曲から届く想いは例年と何の相違もなく、しかも、感じる情熱といったら…!!
さくら学院という形を作る役目を担ったオリジナルメンバーや、それらと濃密に接してきた昨年度までと、
その校風を当初から踏襲する現状という立場の違いもあるとは思うが、一挙動一挙動に乗せる情熱、
それらは「さくら学院」の隆盛、そのものだったのである。本当に、素晴らしい。
と、いうコトがあったうえで。
この「さくら学院」を、白井沙樹は2公演魅せたかったのだろうか?
どうにも、そこがしっくり来ていない。
昼公演が終わった段階で、素晴らしいという感想は父兄間で当然のように出る一方で、
「放課後ナンバーマジック」というのは、一体なんだったのだろうか?、また、
このタイトルに込められた白井沙樹の想いとは一体なんだったのか?という、
煮え切らない感覚が出てきてしまったのも、また事実であった。
夜公演も「魅せちゃいます」、だが、具体的にどこをどう「魅せたかった」のか。
具体的に「何を魅せる」プロデュースだったのか、非常に伝わりにくかったのである…。
これは、去年までが「秋学期試験」と企画性が高く、かつ「分かり易い」演目だった、
という相対的な感覚からくるものでもあるかもしれない。だが、それらがあったからこそ、
我々父兄は、父兄代表である白井沙樹だからこそ、いや、彼女しかできない、
何か特別な「何か」を「具体的に」魅せてくれるのではないか、と、期待していたのだが…。
重ねて言う。2公演とも、最高のさくら学院だった。
でも、これが、白井沙樹が「魅せたかった」ものなのか?
去年のゴタゴタがあったから、今年は「ストレートに『さくら学院』を目一杯魅せる」、
「これこそが『キラキラ』したさくら学院」なんですよ!と、そういうことだったのか??
いや、父兄的にはそれは所与で、それを超えた白井沙樹的な「理想」や「意外性」、
そういうのが体験できるのかと思っていたのだが…どうにもイマイチ、腑に落ちていない…。
今年度を以って、彼女はさくら学院を卒業する。
今後は、自分自身をどう魅せるのか、より深堀をしていく必要もあろう。
そんな中、分かりやすさ、伝わりやすさといったものも非常に大切な要素になってこよう。
表現したいもの、表現したものが、相手に伝わらないんじゃ、哀しすぎる。
でも、想いが伝わる相手/状況なんて、一握りしか存在しないのが、世の中ってのも、また事実。
だから、総論(=ここではタイトル)、各論(=ここでは演出)の平仄をそろえ、
期待感や意外性を交えながら、大切なこと、必要なことを「より」伝えていくよう努めていかねばなるまい。
あと、半年。
彼女が魅せたいさくら学院が、どれだけ分かり易い形で伝わってくるか。
先週の2公演時以上に、これからを「より」期待したいと…考えています。
独VWの問題。様々な方面へと影響が広がっている。
個人的には、昔から疑問だった。
なんで「クリーンディーゼル」が実現できるのか、と。
構造的に熱量が大きいディーゼルエンジンは、Nox排出量を抑制するのが難しいはず。
いくらインジェクションの改良があっても、あそこまでクリーンになるか…?と。
もしその改良で上手く行くなら、日本勢はもっと上手になっていいはずだ。と。
でも、結局、欺瞞だったわけだ。
「『愚か者』ね」
「経済学や経済倫理学でいう『愚か者』というのは、単なるバカとはちとちがうのだけども」
「定義は、
こだま先生の用語辞典を参照」
「でも、本当に『「なぜばれないなら悪いことをしちゃいけないんだ?」』問題よね」
「今導ける分かり易い結論は、結局ばれるし、ばれたときのコストを考えると高くつく、からかなぁ」
「ブランド価値、というインタンジブルでビルドアップが困難な資産価値も含めて、ね」
「でも、それだと、金かよ!?みたいな感じでやだな」
「それに、刹那的なビジネスなら許容されるみたいな状況になるわよね」
「…うーん。悩ましい。」