新あかり症候群総集編<iM@s360版編> |
[シンドローム0・序章][シンドローム1・もう帰っていいよ] [シンドローム2・だんだん興奮してきた…] iM@s、360版新キャラでましたな。 しかし、個人的には「完成された世界観」の中、時間軸も設定も変わらなかったとしたら、 新キャラってなかなか受け入れずらいなぁー…なんて思ったり。 ゲームだけじゃなく、あれだけ…自分の中で大切な7/23もあるわけで。 いやー、いきなりペスティミステック。 こういう感情を持ってしまうのは、歳だからなのか、それともそもそもそういう 閉鎖的な思考回路を持っているからなのか。 明らかに、後者なんだろーなー。 でも、これも意外と役立ってるんだぜ。 さて。 勘というものは、己の経験と知識によって喚起されるものである、と言われています。 9月14日の日記で、iM@sの新キャラについてネガティブな発言をした僕ですが、 それは、それなりの「勘」が働いたからです。誤解されると困るのですが、 別に「キャラ」それだけにネガティブやペスティミスティックな感情が働いた訳ではなく、 その発表の仕方、そのタイミング、そして今までの流れ、全てを総括した上で 「…ん…っ!?」 という結論に至った訳です。 そして、1日後、その予感は見事に的中します。 アイドルマスターWEB…http://www.idolmaster.jp…が、見事というかなんというか、 x360版に乗っ取られる、というトンでもないサプライズとして現れました。 x360用に、別のurlが用意されていたにもかかわらず、です。 あのキャラには罪は無いのかも知れず、一方的に感想を押し付けるのは可哀相ではありますが、 そういう「乗っ取り」的なイメージを、僕から一身に背負う事になったのが、あのキャラだった、 そんな、誰にとっても面白くない結論に収斂することになった訳です、少なくとも現時点では。 不幸な事に、「乗っ取り」のイメージに見事にマッチしたアメリカナイズなキャラクターが、 そんな感情を後押しした事は、悲しいながら事実でありましょう。 今まで、いや、それこそ製作発表から危ぶまれた正式稼動を経て全国展開に至るまで、 全国のファンと、苦難を共にしてきたはずのサイトが…あのキャラ登場と共に、消されたのです。 驚いた事に、下位コンテンツまで一掃されていることから、今後、あのurlは、 コンシューマー用のマーケティングツールとして活用されていくのでしょう。 しかし…しかし。 それが、正しい方法論か?あのキャラクターは、そのためのキャラだったのか? いままで、極めてユーザーフレンドリーに、かつ、ある意味ユーザーに依存しつつ、 存在してきたあのサイトを無に帰してまでのマーケティングとは? 次回以降、iM@sのプロデュース、について、ちょっと考えてみたいと思います。 まず最初、360版をプロデュースするにあたり、客層を物凄く単純に分類してみましょう。 すると: 1.360を持っていて、iM@sに興味がある。 2.360を持っていないが、iM@sに興味がある。 3.360を持っているが、iM@sに興味がない。 4.360を持っていないし、iM@sにも興味がない。 こんな形に分類できるのではないかと思います。少しOver Simplifingな所がありますし、 興味がある(Interested in)という表現は非常に曖昧ですが、これはそういうものと考えてください。 興味があるのレベルは、Pカードを持っていてトリオをプロデュースできる、 ぐらいの方々を想定すると分かりやすいかと思いますが、具体的な定義はありません。 では、これら客層を所与として、限られた資源(=time frameやcapital)の中、 どのようにiM@sをプロデュースしていけばいいのでしょうか? 現状のマーケティングを鑑みますと、どうやら2.をメインに据えながらも、 4.へのアプローチ手法をとっているかのように見えます。つまり、 ちょっと歪んだ形でのマーケティングが行われているかに感じます。 多分これは、特に何も考えずに…というかゲーム自体の開発がメインにあり、 それをPRする事にまで頭が回っていないからではないかと思います。 でも、だからといって、それが許容できるかといえばそんな事はありませんし、 やる事はキチンとやらないと、そりゃ単なる資源の無駄遣いでしかありません。 そんな中、どうやって360版を売れるように仕掛けて行くか、を考えると、 はやり注力すべきは「iM@sに興味がある」人たち(1や2)を、溢さず拾って行く事が、 大切なのではないかと思う次第です。彼・彼女らは、すでにゲームに好感を抱いており、 ハードルといえば「360を持っているか持っていないか」という所に尽きます。 そういう意味では、360を買ってもらいつつ、ゲーム自体に一層の付加価値を付与する、 そういう戦略が必要になりましょう。そう考えると、今、彼らがやっている、 新キャラ、新曲の展開というのは、上で書いたように、ちょっと歪んでいるのは否めないものの、 あながち間違った手法でもなさそうです。iM@sという扉を開いているセグメントと比較し、 ゲームそのものの紹介から入らなくてはならない3や4のセグメントは、 後々の口コミあたりに依存するのが賢いというものでしょう。 しかし、現状が、どうにも違和感が拭えないのは何故なんでしょうか? NBGIが360版を紹介する手法は、あくまでも「アーケード版の延長」というスタンスです。 新キャラが加わりました!新曲が入ります!という形式で関心を煽っている訳ですが、 360を持っている人はともかく、2.に該当するようなアーケード中心な人にしてみると、 「じゃあ、アーケードはどうするつもりなのよ?」 という疑問が付いて回るかと思います。 僕なんかみたいに、あの湯水のような500円消費さえゲーム性強化の為の演出である、 と信じているような客層にとってみると、梯子を外された気分になるわけです。 そう、360が凄いのは分かるんだけど、まるで現状を否定するかのような、 そんなアプローチに、疑問を感じざるを得ない自分がいるのです。 iM@sサイトのリニューアルなどは、その最たる例と言えましょう。 あんなに金を浪費し、しかも決して難易度が低いわけでもないゲームを愛してきた、 そんなマゾヒスティックな感情の背景には、自分たちもゲームを育ててきた、 いや、ゲームを取り巻く環境を育ててきたという自尊心があるからと考えます。 その自尊心を、リスペクトすること無い360版のプロデュース手法は、決して、 褒められたものではないと思う次第です。本当は、 「360ちゃんと言う、アーケードちゃんの妹が生まれる予定です! 360ちゃんは、おねーちゃんであるアーケードちゃんを超えるべく、必死で努力している最中です! アーケードちゃんもこれまで同様頑張るけど、妹も是非よろしくお願いしますね!」 みたいなスタンスで、アーケード版を精一杯尊重しつつ、是非360もよろしくね、 というニュアンスでアプローチすべきではなかったのか、と思うわけです。 「360ちゃんという妹が生まれるので、そっちをよろしく! あ、アーケードちゃんは、もう帰ってもいいよ(ダンス審査員風に」 そういうのはちょっと無いんじゃ…と。考えすぎかもしれませんが、 僕なんかが直感的に感じたのは、こういうことだったりします。 何もこんな所までゲームの要素を取り入れなくてもいいのに、 と精一杯の皮肉も言いたくなってきませんか? 細かい事を言えば、地味に好きだった「Beyond the idol」コーナーや、 ロケテ1番人気記念雪歩の一人漫才や、小鳥さんのFAQなんかが消えたのも、 非常に悲しい…というか、むしろ悔しい、そんな感じなのです。 さて、これから、360版が展開する中で、愛すべきアーケードがどういうことになって行くのか、 正直悲観的な予想ばかりが先にたちますが、見守って行きたいと思っています。 頼みますよ、ディレ1以下開発スタッフ! "便利なものができたからといって、あっさり鞍替えして恬として恥じないのはどうかという気もする" −Syunzo Miyawaki, "Tocyu Gesya No Azi", page131, 1992− 最近、ゲームショーでの話や、iM@sサイトのデモムービーなどもあり、 "Go My Way!"が、「胡麻和え」とかなんとか言われながら局所的にブレイク気味である。 でも、なんか、こういうの見ると、ムカついてくる(爆 ほいっと出の新キャラと新曲がこうも注目されると、今までのは何だったんだ、 俺(達)が精一杯愛し続けてきたキャラや曲たちの扱いはどうなってるんだ、 そんな一言ぐらいは言いたくなってくる。 新しいものをPRして行きたいのは分かるが、俺はむしろ、育ててきたiM@sの世界を、 まずみんなに知ってもらいたいという気持ちの方が強いし、そうあるべきと思う。 iM@sの代表曲は、誰がなんと言おうと「The Idolm@ster」であり、 メインヒロインは「天海春香」その人のはずである。新曲でも、新キャラでもないのである。 もし、360版はそうではないという主張があるならば、それにiM@sという名称を 使用するのは道義に反するであろう。仁義ってモノがちっとも分かっていない。 アーケード版のときのデモムービーは、全キャラ全曲を紹介するという、 非常に出来のいいものだっただけに、これまた残念でならない。また残念、である。 いくら、PSTHに綾香シナリオが追加されてても、マルチが一番人気だと、 PSTH発売時点では周知の事実であっても、THのメインヒロインは、 だれがなんと言おうとあかりであるのと、まったく一緒。 新キャラという事だけで、また、人気があるということだけで、 世界の中心をずらすなんて、心ある人間のすることじゃぁないだろう。 仁義だよ仁義。たとえが俺らしすぎて生々しいが、こういうことである。 つまり、なんか最近の雰囲気に、憤りを隠せないのである。むーっ! |