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[高野三千代『My Calendar』](2004/12/05(Sun.) 13:10)

高野三千代さんと親しくさせていただくようになったのはわずか2年前のNHK『思い出のメロディ』からだ。
その後、まもなくして温壁蓮さんと一緒に新宿でお会いし、かなりの長時間、お話を伺った。
高卒後、宝塚音楽学校に入学、卒業間際に退校してネクタイのセールス・レディとなり、その後、日大芸術学部の教務課に就職。音楽学科のピアノで自主レッスンを重ね、国立音大を受験。大学の入学金はもう一つのアルバイト先だった某デパートから借りて急場をしのいでいる。
大学入学後もそのデパートの店員たちの発声教育係を務めて、亡くなるまでその会社の社員優待券を使える立場にあった。
辛酸は舐めているのだが、人に恵まれたのが長くこの世界で生きる力になっている。
「101」メンバーへのインタビューに関しては彼女の力が大きく、しばしば「思い出したことがあるの」と仰って電話を下さった。

単独での最後のステージは「101シンガーズ」後援サイトの運営者マグノリアさんもご覧になった劇団鳥獣戯画の『カリフォルニア・ドリーミン』で『この世の果てまで』をソロで歌った。その時、既に還暦を迎えていたのだが、衰えぬ美しい声に現役の誇りがあった。

最後にお会いしたのは今夏7月22日、小原初美ちゃんの十字屋コンサート。最後にお話をしたのは翌7月23日のことだ。
2005年3月に予定している彼女のコンサートについてだった。

「これが終着点ではないと思うんだけど、長いこと、日本の歌を日本語で歌うことを忘れていたような気がするの。外国のポップスをいくら上手に歌っても、何かしっくり来なくなっている自分に気づくのね。思いがどうしても万葉集にまで行ってしまうので、思い切って日本の歌をキチンと歌ってみたいの」

僕が仕事で毎週、彼女のスタジオがある駅を通るので10月に入ったら一度、直接逢いましょうということになっていた。

彼女はコンサートへの準備と併行してレコーディングを進めていた。
「101」メンバーの若子内悦郎君(WAKA)がディレクターを務めていたが、レコーディングの途中で時々、不調を訴えることがあったらしい。
「あたし、ガンかしら。だったらヤーね」
と言っていたというから診察は受けていなかったのかもしれない。
レコーディングをすべて終えてまもなく、突然、昏倒した。

電話が全く通じなくなったので、しばしば彼女のスタジオでレッスンしている初美ちゃんに確かめて急を知った。温ちゃんにもっと詳しい話を聞いたが、昏睡状態が続いているようだった。

昏睡から一時的に目覚めた時、ちょうどCDが出来上がり、「101」関係者としてはWAKAが最後の面会人になったようだ。

「ジャケットにあたしのメッセージをもう少し加えたかったわ」

それだけが心残りだったらしいが、ジャケット写真の美しさにはたいそう満足だったらしい。良かった!
彼女の回復を待っているとすべてが手遅れになるところだった。
WAKAは三千代ちゃんの完全なOKが出る前にジャケット印刷まで進めてしまったことを申し訳なさそうに語っていたが、事態は希望的観測の入り込む余地がないほど切迫していた。
WAKAの咄嗟の判断に心から感謝したい。

こうして、三千代ちゃんの遺言となってしまったCDが僕らの手元に遺された。
歌という仕事を真摯に追求し続けた一人の歌い手の思いが、ここにある。
アルバム『My Calendar』。
いとおしい日本語でつづられた日本の四季に三千代ちゃんの美しいソプラノがさらに深い色彩を与えて行く、という作業が行われている。

3月のコンサートに接することが出来なかった人たちにこの歌声を届けることは出来ないのだろうか?
WAKAが沖縄から戻ったら、それを提案したいと思っている。

※この項は随時書き換えることがあります。


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