ここから先は:「あき」さんの物語です

僕は狭い狭い覗き穴から必死に目を凝らして脱衣所の鏡をのぞきこんだ。想像はしていたものの、やはり僕は自分の目に映ったものが信じられなかった。真っ赤な着ぐるみに身体を覆われた僕は、360度どこから見ても、子どもたちのアイドルかつ地球の侵略者たる、ムックだったのだから。
ほんもののムックはといえば気楽なものだった。ふんふんと陽気に鼻歌を歌い、なぜか勝手に僕の歯ブラシまで持ち出して、ムック…もとい「僕」は嬉しそうに歯を磨きだした。
「いやいや、いいねぇ。歯を磨くなんてどんだけぶりだろ…気持ちいいよ。あれれ、なんか歯ブラシが真っ黒になっちゃったよ。ずいぶん磨いてなかったからなぁ。まぁいいか。あ、ねぇ体重計はどこ?あぁ、わかった、棚の下だね。僕着ぐるみ脱ぐのが久しぶりだからどれだけ体重減ってるか楽しみだ」
延々と続きかねない軽口は、僕の耳を右から左へと通り抜けていった。ぼくは一刻も早くこの生物を視界から抹消してしまいたかった。僕はじりじりと脱衣所の出口へと後ずさった。ふと足元に視線を落とし、自分の毛むくじゃら足が目に入った瞬間、僕はわけのわからない衝動におそわれて、着ぐるみを着たまま外の世界へと走り出した。

外の世界は昨日までと一見してどこも変わっていなかった。家の前の細い通りは、それほど人通りが多いわけではなかった。それでも、制服を着た高校生、ジョギングをする元気なおじさん、眠そうな表情のサラリーマンと、僕に日常を思い出させてくれるには十分な朝の風景がそこに広がっていた。
しばらくふらふらと通りを歩き、僕はようやく人心地を取り戻した。そうやって行き交う人をぼんやりと眺めていると、やれ世界征服や着ぐるみやと、慌ただしかった朝が遠い記憶になっていくようだった。
しかし、そこでやっと僕は、ある不審な現象に気がついた。なんだあれは…。通りを歩いている誰もが右腕に腕章をつけている。そして、その腕章にはまぎれもない着ぐるみの似顔絵が描かれていた。僕の頭からさーっと血の気が引いた。
駅に向かう途中らしい中年のサラリーマンが、ふと僕のほうに視線を向けた。途端、彼はぎょっと目を見開き、僕よりもさらに青ざめて直立し、僕に向かって敬礼をした。
「おはようございます!!!」
3km先まで響き渡っただろうその大声に、街行く人という人がすべてこちらを振り返った。そして彼らはそろいもそろってサラリーマンと同じくらい真っ青になり、同じように敬礼をして「おはようございます!」と叫んだ。
僕は、状況が飲み込めずに周りを見渡した。すると人々はさっとうつむいて視線を逸らし、足早に僕から離れていった。気がつけば、通りから人通りは消えていて、僕は独り取り残されてしまった。
なんだこれは…なんだ?
僕はなんだか泣きたくなってしまった。どうして僕がこんな目にあわなきゃいけないんだろう。朝起きたら世界征服だのなんだのとわけの分からないニュースがやっていて、家にムックがやってきて勝手に風呂に入りだして挙句の果てに僕がムックになってしまった。なんだこれは。
腹から湧き上がってくる衝動を押さえきれず、僕は電信柱を蹴り上げた。がんっ、という鈍い音がした。
「ひぃっ…!」
と、同時に、電信柱の影からか細い声が聞こえた。


まだここまでです。誰か続きを書いて下さい

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